令和2年6月19日(金)は
町の遺族会理事会。
何時もなら5月なんだけど
コロナの影響で
今頃になってしまった。
日本遺族会とは
各市区町村にも遺族会があります。
市区町村では
それぞれに
いろいろな活動をしています。
ウチは私の祖父
おじいちゃんが戦没者でした。
5人いた兄妹で
ウチの父親や兄妹4人が亡くなり
戦没者の子供は
末っ子の叔母さん1人に。
祖父が戦争で亡くなった時
叔母さんはまだ小さかったので
祖父の顔は
覚えていないと言っています。
ウチの祖父は衛生兵で
上官と一緒に
行動していたそうです。
日本に帰還する時は
ヘリコプターで
帰ってくる
予定だったそうですが
上官が船が好きだから
船で帰りたいと言ったそうです。
上官の
君も一緒に帰ろうの
一言は断れず
一緒に乗船し
帰還になったそうです。
その乗船した船が
海上で攻撃され沈没し
祖父は亡くなったそうです。
この話は
戦争のドラマなどで出てくる
帰還兵の報告で
祖父が乗るわけだった
ヘリコプターで帰ってきた
兵隊さんが
知らせてくれたそうです。
どこの遺族会も高齢化で
会員が減っています。
私の様に
孫にあたる人達でも
会員の継続は可能ですが
戦争や戦没者への
関心の薄れなどもあって
脱会する人が増えています。
私も脱会を考えていました。
そんなタイミングで
理事の話がきて
6年前に理事になりました。
その時に
そろそろ脱会を考えているので
今回の
理事の任期が終わってから
脱会すると言う話を
年配の理事に話しました。
そうしたら年配の理事から
遺族が
戦没者の慰霊をしないで
どうするって言われちゃって
えぇ~それちょっと待ってぇ
それ言われちゃったら
脱会出来ないじゃん
そんなこんなで
2回目の理事が回ってきました。
会員数も減っているし
皆が高齢なので
また理事が回ってくるのは
わかっていた。
まぁ理事って言っても
年に何回かの会議と
例大祭の参列。
戦没者追悼式の参列や
神社の掃除などで
大変な役職って訳でもない。
(会長は大変です)
高齢の人でも
会員を継続してる家があるので
ちょっとでも若い者が
動くしかないかなぁ。
これから3年理事をやって
後はまた考えます。
最後まで読んで頂き
有難う御座いました。