2022年元旦から再開した坐禅
朝起きて30分の貴重な時間
約2年、1日も休まず毎日続けた。
富士山が東海の天に突っ立ったように凛然たる気持ち。
地球を座蒲団にして宇宙を腹におさめたような、大きなドッシリとした、そしてそのな中にリーンとした気分。
天地に一杯になったような気持ちになって、ただリーンと
これらは、原田祖岳著の[正しい坐禅の心得]に書かれている、原田祖岳が表現した坐禅の気持ち、気分。
青山元動ぜず、白雲自ら去来す
はれてよしくもりてもよし不二の山 もとの姿はかわらざりけり
何十年か前、永平寺に参拝した時に購入した坐禅の本で、当初は数息観の真似事をして解った気でいた。
行住坐臥、朝から晩までの全生活を修行にせよ。
それなら、一日中数息観をやっていれば坐らなくてもいいのかな。
本の中に書いてあるがこれが大きな間違いで、行住坐臥の中でも坐るということが一番只になりやすいから、これを中心に置いて修行する。
何度も何度も読んだのに、大きな間違いで修行の時間を潰してしまったが、気付けて良かった。
このブログを読んで間違いに気付く。
遠回りはしたけれど、生きて元気なうちに坐禅を再開することができ、今まで1日も休まず毎朝30分の只管打坐を勤めている。
原田祖岳に言わせれば凡夫禅と言われるだろうが、勤め切るの気持ちはある。
本を購入したころは暇をみて坐っていたが、それでは続けることは難しい。
坐禅を再開するにあたって必ず毎日坐れる時間を探した。
それが早朝だった。
その日の予定に合わせて起きる時間は異なるが、必ず30分の坐禅の時間は確保できる時間帯。
朝30分の坐禅のために生きる。
生きるために食べる。
食べるために働く。
生きる意味、食べる意味、働く意味
全ての意味がここにある。
みんな一人一人が、それぞれの場所でそれぞれの家で
働き、食べて、朝目覚めたら坐る。
これが真実
これだけで良い
これだけのために生きる。
働いて食べて生きていく、全ての意味がここにある。
悩みや迷い、争いや憎しみ、嫉妬や妬み
そんな感情は、坐禅をしていれば富士山に去来する雲のように勝手にどこかに飛んで行ってしまうもの。